劇団en;
脚本・演出 海月
2024年8月18日13時
於 アトリエほんまる
以前「イストリゲーム 〜狂騒曲〜」として上演された作品の続編とも言うべき作品。
『「イストリゲーム 〜狂騒曲〜」は’前回の公演の「惡伽橋」でも闇と狂気に彩られた独自の世界を魅せてくれた劇団enさんによる架空未来の物語。第三次世界大戦後社会が崩壊凶悪な犯罪者だらけになった日本では新たな処刑方法が考案された。それは囚人同士によるイストリゲーム。多くの観覧者の見守る中で行われるそれは処刑される囚人ひとりひとりの罪を自ら懺悔させていくもの。座れなかったものから順に処刑されてゆき、最後に残ったものは無罪放免となる残酷なゲーム。』
以上は前作の〜狂騒曲〜のときに書いた作品の説明。ただ今回は大きく違うところがある。前作でイストリゲームに参加させられた6人は全員とびきりの悪人ばかりだったが、今作では全員がとてもいい人間、お人好しばかりなのだ。したがってほぼ全員が他人の罪をかぶったりして殺人罪となった冤罪だった。
ただ一人。前作の最後、冤罪を装っていた実は自分の身内を殺害したイストリゲームの勝者を激情のまま処刑した遺族会代表にして執行官だけが言葉通りの殺人犯だった。彼が今回最初に処刑される人間になるのだが、彼が自分の行った罪を通して人間の不完全さ、誤りを犯してしまう存在であることを知りこのイストリゲームという制度の理不尽さを叫ぶ。
多分ここが今作の重要なテーマなのだと思うがこの時点で明かしてしまったことで少々説明臭さだけが目立ってしまった感じがあった。前作の狂気と情動、バイオレンスと対象的ではあるがやはり劇団en;さんの一番の特徴はそういう部分が光るように思う。今回は理性、あるいは正義がポイントになると思うがそういうものはやはり論理的になるものなのかもしれない。
この最初の告白がそこだけ異質なものとして浮き上がり、その後の残りの罪人たちの冤罪の告白と庇い合いの情動の波がやや弱くなったような感じを受けた。また、情動の発露がいきなりMAX状態で時折観る側としては置き去りにされたような気分があった。人間が感情を爆発させる場合認識、記憶との照合、感情の発現という段階を経る。その際にほんの僅かなタイムラグがあるはず。そこに迷いや戸惑い、内からあふれる情動があって初めて観客はついていけるのではないだろうか。
とはいっても後半に行くに従って引き込まれていったし、ラストのどんでん返し。正義のはずだった執行官が実は妹に冤罪を押し付けた意識高い系の兄であり、他の罪人たちに生き残らされた一番気弱そうで自己肯定感も低くやや頭も足りなそうな少女が真実を悟り、彼に対して怒りと激情のまま罪を追求していくシーンには惹き付けられた。
印象に残ったのは飲み屋のママさんと看護師あるいは介護職員、そして最後の少女。いずれも存在感がある役者さんばかりの中でもこの3人が特に記憶に残った。
同一の世界観、1名前作と同じ登場人物という設定で全く逆の方向から描かれた続編。面白い趣向だと思う。ただ最初の元執行官の扱いはもう少し告白の時期などより効果的な位置取りがあるような気もする。むしろラスト直前まで傍観者的に生き残らせるとか。
あくまでも個人的好みだがやはり劇団en;さんにはとびきりの狂気と情動の舞台を期待したい。その中で正義が語れるか、難しいかとは思うが。情動の奔流のなかで浮き上がる理性。カオスの中に生まれるポチリと光る正義の輝き。そういうものが見てみたいと思った。